箸の所作
「箸」も「筆」も、その所作の基本は同じであり、本来の指の当て位置は、鉛筆やペンのとは異なります。
古来、人々が生活の中で培ってきた箸の所作に対し、"正しい" とか "美しい" だの "作法" だ "マナー" だなどと言うのは、そう唱える人たちがもくろむ傲慢な仕来たり作りであり、一般的な生活には馴染みません。
作図資料
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chopsticks_(PSF).jpg
https://www.shu-ken-inc.com/information/detail/masterid/23/
本田総一郎『箸の本』
『箸の本』(本田総一郎 昭和53(1978)年初版) のp.28 には次のようにあります。
―― 外国使節への儀礼や隋・唐への留学生の帰朝などに刺激された箸使いの技術は鮮やかな手さばきによる格好の良さと相まって、‥‥筆使いに通じる点もあるので ‥‥、貴族、高官の間で大いに練習がなされたであろう ―― と。
にもかかわらず、p.229には、"箸の正しい持ち方" と称して、写真と共に ――薬指で下の箸を固定,上の箸を人指し指で真中よりやや上をはさみ,親指で2本を軽くおさえて上の箸を動かす ―― と、鉛筆で育った著者の生活環境に基づいた説明がなされ、―― 筆使いに通じる ―― と云う、せっかくの着目が生かされていません。
筆は1本なので 「中指と薬指」 の "腹" に一緒に当てますが、2本の箸の場合は、下の箸は 「薬指」 の "腹" に当てます。
これは、動物とは違う人間の「道具」使いの知恵です。
手づかみは勿論のこと、棒状のものは猿でも使い、ナイフやフォークで突き刺したり切ったりほじくったりする食べ方は幼児でもできます。
ペンや鉛筆も同様で、握りしめてする一定の所作は小学生なら普通に出来ますが、「習字」 で筆使いの基本を習得しなければ、箸についても、単なる棒としてか使えない程度にとどまります。
筆は、ペンなどのような単純な持ち方に加えて、棒を "回転" させることもでき、これは、筆にも通じます。
筆のように "棒" を自在に使いこすことができれば、箸使いも自ずと自然で普通のスタイルになります。
猫手持ち 又は ドラえもん箸 (*1) みたいに "ぼんぼ手" (*2) ではなく、指が箸に添っているような、古来普通だった箸使いはいかがでしょう。
人口の一割に満たない「武士」等と云った特権意識の「礼法」だの「マナー」など、関係ありません。
子供たちには、普通の社会人として「品格」を学んでほしいものです。
*注
(*1) 一般語ではありません。見た目からの造語です。
(*2) 岩手県の人は知ってるかもしれない。鉛筆を "ぼんぼ削り" するとも言います。ぼんぼ削りした鉛筆をぼんぼ手で持って書く_は、未熟/幼稚/不器用の達人を指します。
参照 ⇒
[!箸の所作].pdf